(韓日併合後、北朝鮮地域に住んでいた人の話)


新しい秩序とストレス

1.
韓日併合後、日本人が大勢朝鮮半島に進出することになり、主に官公庁の公務員、学校の教師、商人たちが先に朝鮮半島へやって来た。

彼らは朝鮮人に「新しい秩序」を適用し、それを要求してきたが、それが朝鮮人にとってストレスとなり、反発を引き起こすことがあった。


2.
例えば、朝鮮の人が今までの通り、山で木を伐ろうとするとそれを止めたり、酒を作って売ろうとすると許可・免許を求めたり、夜に巫女を呼んで祈祷をしようとすると「うるさい」と止められたりした。

現代の基準で考えれば当然のことかもしれないが、当時としては新しい秩序を啓蒙し、理解させ、定着させるには相当な時間が必要だった。


3.
その一例として「枝切り(剪定)」に関する話が、ある自叙伝に書かれていた。

日本人が果樹園を訪れて啓蒙・指導を行い、枝切りを勧めたところ、朝鮮の農民たちは大きく反発したという。当時の朝鮮は原始的な農法から脱しておらず、枝を切る理由を説明しても理解できなかったし、日本人の話を信じようとしなかった。

日本人が手本としてリンゴの木の枝を切ってみせると、


日本人がリンゴの木を全部枯らすつもりだ! 」
「元気な枝を全部切ってしまった!」
「 あの人たちのせいでリンゴ栽培が台無しになった!」


と日本人を非難する人が多かったという。

4.
品質の向上、味、栄養状態、日照量などに関する知識がなく、果物の生産や流通に関する商業も発達していなかった朝鮮人の目には、自分の財産(果樹)を勝手に損なう者たちとしか映らなかったのだ。


5.
日本人に悪意があったわけではなく、むしろ善意から始まったことだったが、結果は正反対で、反感と対立だけが残ったというエピソード。

残念なことではあるが、生活水準や経済レベルに大きな差がある二つの文明が、ある日突然一つになるとすれば、避けられない過渡期の試練であったと思う。

このような現象は、現在でも発展途上国などで起こっているのかもしれない。
先進国から行った人たちが、途上国の伝統的な治療法、農業方式を否定し、現地の人たちが理解できない新しい方法を指導しようとする場合に見られるだろう。同じことが100年前の半島でも起きたのだ。


これは誰かを責めることはできない。二つの文明、社会の「差」から生じる通過儀礼のようなものだろう。😳

(終)