世界でも民族構成、言語、習慣の同一性が極めて高い東北アジアの二つの国、韓国と日本にも「多文化」の風が強くなった。しかし、個人的にはそれが交流と需要による自然な変化ではなく、意図的で、開放政策の強要のように見える場面も少なくない。


多文化推進論者たち、すなわち韓国の左派と日本のリベラルは、多文化に懐疑的な人たち、拒否反応示す人たちに「極右」「ナショナリスト」のようなレッテルを貼りたがるが、逆に無条件的な多文化擁護と推進は無責任な行動ではないかと思う。彼らは自らどれくらい多文化に接していて、どれくらい深いレベルでの交流をしているだろうか。遊びや飲み会レベルではなく、一緒に仕事をしたり、隣人として暮らしている人は果たしてどの程度だろうか。


そこで、見つけた米国のリベラルに関する本の一部を紹介する(以下引用)


今日のアメリカを代表する社会主義者ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)は、85万ドル以上の価値を持つ自宅と、マサチューセッツ州ウェルフリート(Wellfleet)に120万ドルを超える別荘を所有している。チョムスキーのケープ別荘は州立公園のど真ん中に位置し、周囲にコンドミニアムが建てられないため、彼の眺望を妨げるものはない。そして、近隣に社会的に疎外された少数人種を見つけるのは難しい。

ブラックパンサー党(Black Panther Party)を尊敬すると公言し、知識人なら「あらゆる形の人種差別と闘うべきだ」と語り、アメリカが「黒人をこの国の広範囲な地域から排除している」と非難する彼が、黒人の人口比率がわずか1.1%しかない町に住んでいるのだ。

だが、チョムスキーはウェルフリートで孤独ではない。彼の親友で同志でもある急進派のハワード・ジン(『民衆のアメリカ史』の著者)もそこに住んでいる。ジンは「世界には不均衡があってはならない」と語り、すべての人が平等な財産を持つべきだという経済思想を長年主張してきた。

彼もまたアメリカ社会を批判し、人種差別と人種的分離という言葉をためらいなく使う。しかし、彼の現実はこうだ。ハワード・ジンは白人が多数を占める高級住宅地ウェルフリートに2軒の家を持ち、さらに「多文化」地域とされるオーバーンデールに3軒目の家を所有している(そこにおける少数人種の割合はわずか3.3%である)。




Peter Schweizer著 『Do As I Say (Not As I Do): リベラル派の偽善を暴く』から
『Do As I Say (Not As I Do): Profiles in Liberal Hypocrisy』(2005)




マサチューセッツ州ウェルフリート(Wellfleet)



日本にも外国人が密集している地域があるが、そこはだいたい安い家賃、そして日雇い労働者の仕事がある場所である。治安、教育などの環境を考えたら決していい環境とはいえない。しかし、そのようなデメリットは貧しい外国人労働者にとって「障害」とはならない。外国人たちは、そのような不便さやリスクを甘受する代わりに、お金を節約できる方法を選ぶからである。これは他の先進国の場合でも同様である。


ただし、外国人労働者が事業に成功したり、経済的に余裕ができたりした場合は別である。というのも、そのコミュニティから抜け出したいという欲求が誰よりも強いからである。そのため、外国人コミュニティの中でいわゆる「勝ち組」は、真っ先にその地域を離れ、現地の人が多い静かで安全な地域へ引っ越す。最初は「仕方なく」その街で生活を始めても、ある程度余裕ができたら、外国人が多い街は外国人も住みたがらないのだ。


多文化共生と外国人の移民推進を訴える日本の知識人たちは共生ばかり訴えるが、本人たちはどこに住んでいるのか気になる😶